田村明著『市民の政府論』The book "Citizen's Government" written by Akira Tamura
逗子市まちづくり懇話会 The Town-making Committee of Zushi City chaired by Akira Tamura
逗子市まちづくり懇話会は、富野暉一郎市長によって設置された学識経験者・市民・市職員によるまちづくりを語り合う委員会であった。1986年10月から1993年3月まで計44回に亘って開催され、逗子市にとって具体的な施策につながる重要な提言をした。その座長が都市プランナー田村明であった。既に横浜市を退職し、法政大学教授となった田村は富野市長に請われ、懇談会を運営することとなった。富野市長は池子の森に米軍住宅が建設されるのに反対した住民側出身で、言葉は失礼になるが「市民運動が市政を取り返した」ともいえる。これに、市民によるまちづくりを主張する田村明がどう関与し意味をもったか、を明らかにすることが当NPO法人内に設置された「市民の政府論勉強会」の目的である。まず、出発点として、当該懇談会のすべての記録が市役所に保存されていたことが驚きで、かつ、それを情報開示制度で公開してくれたことが画期的なことであった。この貴重な資料を読み込み、関係者ヒヤリングを行い、理論的な整理を行うことを、当勉強会は進めている。(文責:田口)

田村明の「縦軸」と「横軸」
田村明・「市民の政府」論の先行研究における位置付けについての雑感
担当:青木淳弘
さしあたり「田村明のライフヒストリー」を縦軸とする。そして制度や社会資本の動向などを含む社会背景を横軸として考えてみたい。
既往の研究を見てみると、この縦軸に注目してきたものが多いように思われる。例えば鈴木(2016)の『今、田村明を読む』は、時系列で田村の足跡をたどるというものである。都市計画「史」という立場からすれば確かにこのアプローチは正しいが、田村を「飛鳥田革新市政における都市計画家」として限定的に捉える傾向もある(これは地域社会学等においても同じ傾向である)。しかしここで考えておかなければならないのは、それぞれの自治体において、おそらく抱えている都市問題は異なるということである。
革新自治体の時代(1960~70年代)にはおそらく公害や社会資本の不足という問題が強くあったはずだし、それ以降になれば、都市アメニティの向上(環境アセスメントとの関連)や地域活性といった問題に対処しなければならなかったことが想定される。この点を考慮すると、都市プランナーに求められるのは、都市地域の実情に柔軟に対応した都市計画とその運用のあり方を提案することにあると推測できる。そこで問題となるのは、都市プランナーの立場性である。既往の研究においては、横軸にあたる社会背景(特にどのような都市問題とそれに対応する都市政策が求められたのか)を合わせて論じていないために、議論が唐突な印象を受ける。問いを少し変えてみるならば、なぜ(官庁型都市計画家ではなく)田村明のような都市プランナーが日本の自治体に求められたのか、ということに答えを出せていない。
都市計画技術の「専門化過程」についての考察を行う植田剛史の一連の研究を参照すれば、1950年代の住宅難という社会的な要請の中から「都市計画コンサルタント」が登場したことと、今日の都市計画技術の「専門/非専門」の境界線が曖昧であることが指摘されている。そして1980年代のフォーディズム型世界経済の衰退に連動したNPM導入以降、世界各国でも同様の都市計画(を含む都市政策の策定プロセス)における「専門性」は、よくも悪くも今でも曖昧である(Forrest and Wissink 2017)。結果的に誰が都市計画の「ゲートキーパー」になるのかという議論は今もって重要な問いといえるだろう。
逗子市の審議会資料が導き出すひとつめの意義は、この「誰がゲートキーパーとなるのか」ということを考える上での重要な参考資料となるだろうということにある。したがって理論的な背景として、この都市政策についての「専門/非専門」の界面がどのようなものなのか明らかにするということの意義を先行研究に対して主張できるかもしれない。
ふたつめの意義として、「都市計画の専門性」という問題形に加えて、渡辺俊一(2001)などが論文化している1980年の地区計画制度の導入に端を発する「参加型」まちづくりの活発化(それがうまくいっているのかはともかくとして)と、それに伴う各地域での審議会の設置という視点も見逃せない。なおこの「参加」ということについては、革新自治体の経験においても重要な要素であることはいうまでもない。
これらふたつの意義から考えて、以下のような課題を掲げることができる。
1.専門家論(Andrew Abbott, Raymond Pahlなど)を批判的に読み、理解し、現代日本における都市計画の「ゲートキーパー」の役割について考える。
→こうした観点から逗子市の事例を検討し、都市プランナーの役割を論じる。特に富野市長との関係性、市職員による学習プロセスなどをこの検討に加えることで日本における「専門/非専門」の界面の不確定性が明らかになるかもしれない。また当然長島さんの著作もこの検討には欠かせない。
2.都市計画における「参加」と「審議会」
→原田純考や渡辺俊一らの「都市法」に関する議論を適宜参考にしながら、都市計画における「参加」の意義について考える。また革新自治体の終焉(1980年頃)以降の社会背景と合わせて、そもそもは住民運動が強く主張していた「参加」のプロセスはどのように市政運営や政策形成に取り入れられていった(いかなかった)のかについて検討する。ここで参考になるのが、①都市社会学における一連の住民運動の「主体と論理」に関する研究群、②革新自治体とその後に関する事例研究のふたつである。例えば、これらの先行研究群に照らして合わせてみると、横浜市新貨物線問題などはこれまで「強い主体」同士の対立として捉えられてきたようにみられる。しかし主体と革新自治体の複雑な関係性に見通しを与え、お互いの立場が論理をどのように変化させていったのか、という視点からその連関図を描いてみれば、また違った局面が見えてくるはずである。
勉強会メンバーの研究中間メモ
以下のファイルは当NPO法人からの情報開示請求により逗子市が開示した各回懇談会の記録です。