公開研究会

日時:2017年10月2日(月)午後6時

会場:桜木町市民活動支援センター4階セミナールーム

講演その1:東秀紀「田村明プロフィール草稿」

講演その2:青木淳弘「田村明研究の社会学的アプローチ」

参加者12

NPOでは来年7月中旬に横浜で開催される国際都市計画史学会IPHSでの研究論文の発表と、都市プランナー田村明に係る複数の研究論文によって構成される分科会(Session or Panel)の設置を期待しております。あくまでも当NPOの「希望」であって、IPHS理事会の決定ではまだありません。ただし、努力しようとしています。なお、以下の二つの論文以外に、二編の論文を用意しつつあります。

 

講演その1 東秀紀氏(当NPO理事/歴史作家/元首都大学東京教授):都市計画からまちづくりへ:プランナー田村明の歩み
田村明のプロフィールを会員総出で書く中で、骨子を東氏にお願いしています。田村明の生誕から亡くなるまでの年月を追いかけます。今回「草稿」が出され、会員で意見交換しました。東氏の説明メモと会員からの意見を掲載します。
草稿は5章に分かれ、第1章本論文の目的、第2章誕生・旧制高校・大学・社会人としての彷徨、第3章革新市政のアドバイザー、第4章企画調整室と6大事業、第5章横浜以後の田村で構成されています。

東氏より、
飛鳥田が環境開発センターに期待したのは公害対策や東急田園都市開発規制に係るコントロール的なものだったのかもしれない。それに対して田村さんたちは「七大事業(後に六大事業)」を提案した。
飛鳥田後の細郷市長はみなとみらい計画を田村の計画から組織の計画に変えた。
田村さんが苦闘したものは国家官僚体制であった。
田村さんは負ける計画をやってはいけない。
法政大学ではわずか週2コマで査読論文は書かず、11冊に及び啓蒙書を書いた。
田村さんの社会活動は、市民や自治体職員の勉強会に出向くことであった。
会員より、
企画調整局での仕事は、コントロール・プロジェクト・アーバンデザインで構成されていたので、特に宅開要綱に代表されるコントロールについては多くを語る必要はないが、若干でも述べて欲しい。
田村さんが苦闘したのは何であったのかを、より明確に述べて欲しい。

戦争中に少年期を過ごしたことが人格形成に及ぼした点を述べて欲しい。
果たして第5章は必要だろうか、より縮小してもよいのでないか。その代わり、横浜時代を充実する。
田村さんが各地を講演したときには、自分の横浜での経験を披瀝し、皆さんもできますよ、と元気づけた。

 

講演その2 青木淳弘氏(当NPO正会員/東京大学大学院修士課程):なぜ都市デザインは非定型流動でなければならないのか ̶̶ 田村明の「反理論的都市デザイン」の日本の都市計画におけるインパクト
青木氏は東京大学大学院社会学系研究科に属する修士課程の大学院生です。将来は研究者になることを目指しています。多くの人々に影響を与えた田村明は、「多様な解釈を読者に許した」といえます。横浜市時代に共に仕事をやった人たちだけでなく、その後の田村明に会い、自治体の可能性やまちづくりの意義に気づいた若者や老人たちもいました。
青木氏より、
田村明は、まちづくりの普遍性を自ら否定した不思議な人物である。
都市をデザインすることは「調整」することであり、柔軟性を必要とすることを認識していた。フォーマルな法律ができてしまうと、逆に枠組をつくり縛ってしまう。
インフォーマルな立場で自分の経験を語り、フォーマルでないものを如何に自分たちで創っていくかを模索した。
田村明は体系的であってはいけない。
相手が多様であるから、自分たちは柔軟に入っていくべきである。
会員より、
果たして、都市計画には理論があるのか。
田村さんは「ねばならない」と言ったことはないのでないか。
非常に素晴らしい研究アプローチでおおいに期待している。

東講演メモ20171002.pdf
PDFファイル 104.9 KB
青木講演メモ20171002.pdf
PDFファイル 136.8 KB

『田村明プロフィール草稿』は一旦削除します。IPHS横浜大会2018に向けて、その後NPO法人の会員総出で加筆修正しております。IPHS横浜大会委員会に提出済みの当該論文(英文で田村千尋著となっています)が審査に通った段階で、日本語版を公開する予定です。少々お待ち下さい。(文責:NPO法人副理事長)