12月2日(金)公開研究会報告

開催日:2015年12月2日(金)午後6時~9時

場所:横浜市民活動支援センター4階セミナールーム2号

参加者:9名(講師を含む)

 

議題1 田口俊夫『革新自治体における開発コントロール手法形成の経緯と変化-横浜市における宅地開発要綱を事例として-』

議題2 永山克男さん『宮城大学における博士論文の進め方』

その1 田口宅開要綱論文の中間発表

 

 12月2日の定例研究会は実に有益であった。宅開要綱の歴史的研究をして、次世代にとって何の役に立つのだろうか、という疑問を最近持ち始めた。これからの社会がどう変化するのかが読み切れない、少子高齢化社会であるのは確かだが。横浜市の人口推計では、今から50年後の人口は30年前の人口規模と同じ300万人となる。ただし、人口の中身、年齢構成は大幅に異なる。老人ばかりとなる。更に少子化は進む、改善する兆候はまったくない。

 

 

 人口急増期の宅開要綱が人口減少期にどう役に立つのか、議論がある。都市インフラも老朽化し、維持管理する費用以外に更新費用はどうやって賄うのだろうか。住む場所が拡大した時代から、所謂コンパクトシティの縮小する都市となるのだろう、撤退する土地の扱いはどうなるのだろうか、住宅地でなく都市インフラも維持更新されない「特殊な場所」が広がっていくのだろうか……、財産権と課税のあり方そして社会福祉論まで議論は広まっていく。これまでの考え方を根本から変えるパラダイムシフトParadigm Shiftの時代となる。以上のことについて参加者で議論を深めた、でも結論はない。結論など簡単には出せないほど、深い課題であった。

 

 このような中で、宅開要綱について今、論文を書いている。「歴史」を書いている。田村明さんが横浜市を辞める前に東京大学から博士号をもらって研究テーマが「宅開要綱」であった。宅地開発要綱についての制定過程と運用実績について多角的に分析している。全国の事例や法的根拠について深く議論している名著である。当然、博士論文なので極めて学術的なものである。つまり、この論文を超えるものは書けない。

 

 ただし、若干の可能性があった。田村さんの前後を追いかけるのである。横浜市の宅開要綱は、昭和43年に制定され、昭和47年に新都市計画法の施行に合わせて改訂され、田村さんが辞めるまでそのままで運用された。昭和53年の細郷市政になってからも、田村路線を快く思っていないのでないかと勘繰られる細郷市長も緩和や、ましてや廃止をするでもなく、昭和55年と昭和59年の改訂を経て堅持していく。それが廃止モードになっていくのが、平成7年の改訂で、高秀市政の時代である。開発者負担も1ヘクタール以上の大規模開発しか対象としなくなった。最終的に実質廃止となるのが平成16年の改訂で、中田市政の時代である。要綱の運用停止である。開発者負担は別途残ったのだが、3ヘクタール以上500戸以上の住宅開発のみとなった。高秀市政以降の開発の主体は、0.3ヘクタール以下の小規模開発である。それが毎年積み上がって150ヘクタールぐらい開発されていく。飛鳥田時代が毎年250ヘクタールぐらいだから少なくない規模である。それでも、開発の技術基準を条例化して、負担基準は実質廃止した。それでよいのだろうか、疑問がわく。学びを深めるために、市建築局に情報開示請求を行い、開発に係る経年的な統計データと、宅開要綱改訂の方針決裁書を取得した。ただし、昭和43年と昭和47年のものがない、役所内にないという。

 この間の横浜市の財政状況は如何であったのだろうか、それを知りたいと思った。ただし、それは簡単にはネットや図書館で検索しても分からない、昭和38年当時のデータがあっても現在の状況と通じて経年的分析をできるものがない。最近は情報公開でネットでも多くの資料が出てくるが、その読み方も分からない。そこで、市財政局HPを手掛かりに電話をしてみた。なんとまあ……、かつて役人をやっていた人間が驚くほど親切で対応がよい。それならば、貴NPOに財政局でデータを整理して提供します、となった。当然、当研究会のHP等で公開していただいても結構、という大盤振る舞いであった。市民税収入と全体の財政規模の変化を昭和38年から現在まで、そして昭和44年から現在までの普通会計の性質別内訳表まで作成してくれた。感激ものである。それを見ると、豆粒のような飛鳥田時代の財政規模が、細郷時代まで急成長していく。高秀時代にゼロ成長となり、そのまま現在に至るが、財政規模は1兆数千億円まで膨張した。それでも、性質別にみると、「扶助費」が圧倒的に増え、かつての主役の一般建設費を上回っている。建設費の少なさは寂しい限りである。

 田村さんは博士論文で「公選首長のチカラをみせつける」と何度か書いている。また、革新市長だから開発コントロールができたのか、そもそも「革新」とは何か。疑問はつきない。当時の業界利益第一主義の中央政府の動きは分かりやすいが、つまり市民の利益を守る法制度はなんら準備されていなかったことも、地方行政で革新市長の活躍場所があった、ともいえる。一方、市議会(以下「市会」という)の百年史を読んでも、飛鳥田の革新市政が誕生したのは保守分裂による「偶然の結果」であることが分かる。少数与党の社会党が飛鳥田を支えることはできない。仮に多数派であっても、権利制限や財産制限をする宅開要綱が果たして市会で受け入れられただろうか、おおいなる疑問である。因みに、地方分権一括法に続いて地方自治法が改正になり、権利制限を伴うものは要綱でなく条例で行うことが明記された。書かれていない「曖昧な状況」であったため、要綱で開発コントロールによる開発者負担ができたとも言えるが、さて明記されるとどうだろうか。

 

 研究会ではっきりしたことは、まずは田口論文としては宅開要綱の「歴史」を整理して、その上でパラダイムシフトについて考えるしか方法がない、ということだ。それも、田口個人にだけ任せておけばシフトの方向が見えてくるのでなく、研究会会員総出となって共に作り上げるしかない、ことがはっきりした。また、資料やデータを提供していただいた方々への重たい責任がある。皆で頑張りたい。

その2 永山克男さん講演

 

 NPOの正会員に最近なられた岩手県在住の永山さんが会社を経営しながら通っている宮城大学博士課程での査読論文書きに悩んでおられるので、急遽研究会の場で会員による意見交換会が開催された。平泉などのまちづくりに風土工学を生かしたい、その過程で多変量解析などの手法も活用したい。ただし、どう生かせばよいかが分からない。田村千尋さんや東秀紀さんなど元大学教授クラスで論文書きにも通じた方々や、その他の正会員の方々からも貴重な助言を頂戴した。以下が後日、永山さんから頂いた感謝メールです。因みに永山さんは一関で都市計画コンサルタントの会社を経営しながら、学ぶ70歳の社会人学生です。田村さんの著書を読み、感激して当NPOに入会されました。毎回、岩手県から参加されます。

 

会員の皆様へ

 

先日は大事な田村先生の研究会の中、私個人の論文作成に御指導頂き心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。乗った船なので何とか向こう岸に辿り着くまで頑張ります。

諸先輩のお話を整理すると今後の課題が見えてきました。

第1点が本研究で新しいもの(小さくてもいい)を見つけること。第2点が研究対象を絞ること(研究成果にならない都市は選ばない)。第3点目が研究評価をしてくれる学会を選ぶことと受けとりました。

これらを年内中に整理し、教授と相談、確認を取り、新年から新たな気分で頑張ります。

今年は田村明研究会の皆さんとお会いでき楽しい一年でした。

来年もよろしくお願い申し上げます。

以上文責:田口俊夫