Visit to Nishiyama NPO 西山文庫訪問

Taguchi and Sekine, members of Akira Tamura NPO, visited Uzo Nishiyama Bunko (library) NPO in Kizgawa, Kyoto, on July 5, 2019. We were impressed by the Bunko and its management as to the size and volume of materials they possess. Although our Tamura NPO has no historical documents left by Tamura, we are determined to conduct empirical research on achievements by Tamura in order to disseminate Tamura into the global stage.

 

「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」を訪ねて                 

 

 7月5日、田口俊夫さんと、京都府木津川市にあるNPO「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」を訪ねました。お目にかかってお話を伺ったのは、副理事長の中林浩さん(神戸松蔭女子学院大教授)と事務局の渡辺恭彦さん。

西山夘三(1911~1994)は、住宅の設計や研究をする者にとって避けて通ることのできない巨大な存在です。京都大学建築学科を卒業後、石本建築事務所に勤めます。徴兵され兵役に服したのち講師として京都大学大学院にもどり、大阪・京都・名古屋の庶民住宅3600戸を調査し、町家の伝統が新しい住居タイプとして続いていることを実証しました。その後、住宅営団(前身は同潤会、戦後は日本住宅公団となります)に入り、戦時下の極限状況においてあるべき住宅の姿を追求、食事の場と就寝の場を分ける「食寝分離論」を唱えます。実際の住宅の住まわれ方を分析し、あるべき住宅の平面型を創出する方法は、日本における住宅計画学の始まりで、その計画理論は、戦災復興において大量の住宅を効率的に供給する考え方の基礎となり、戦後のモダンリビングを形づくる「n+LDK」(個室群とリビングダイニングキッチンから成る間取り)へと引き継がれました。

 西山は、その後、京都大学教授として住宅団地などの設計に携わり、住宅から集合住宅へ、集合住宅から都市・地域へとその活動領域を広げました。生涯「すまい」に関心をもちつづけましたが、その原点は「すまい」と「くらし」の関係で、特に庶民の住宅を重視しました。邸宅もドヤ・飯場・船やバスを利用した住居も、長屋・木賃アパートも寮・社宅・官舎もマンションも、ありとあらゆる種類のすまいについてメモやスケッチを残し、すまいに関する本を何冊も書いています。

 京都大学を退官した西山は、原稿を著作にまとめる一方、まちづくり、まちなみ景観保全に尽力します。1994年、京都駅ビル訴訟の原告側証人として論述した翌日倒れ、それが原因で死去。すぐに西山夘三研究会が発足し、翌1995年、西山夘三記念すまい・まちづくり文庫が設立されました。

 西山文庫には、西山が残した厖大な数の「遺産」が保存されています。論文・書籍の他、メモ約650ボックス、スケッチブック約120冊、写真約10万コマ、ノート・日記約400点、新聞スクラップなどで、間近に実物を見せて頂き、一人の人間が残したアウトプットの量に驚くとともに、それを保存して後世に残したことに特別な思いを感じました。

 西山文庫の主な活動は、資料の整理と公開、会員へのレター発行(年3回)、セミナー・「夏の学校」開催、すまい・まちづくり関連学位論文の収集・公開、そして出版です。貴重な資料を目当てに、若い研究者が訪ねてきます。また、デルフト工科大学のカローラ・ハイン教授のように海外から西山の業績に注目する人も現れ、教授による西山の主要論文の英訳本(Reflections on Urban, Regional and National Space : Three Essays)も出版されました。

 「まちづくり」という語を用いたことからもわかるように、田村明との間にはつながりが感じられます。思考の根底に普通の人々の日々のくらしがおかれていること、国の政策とは相容れないところがあること、資本主義に懐疑的・批判的な立場を貫いたこと、生涯にわたりスケッチ・写真・文章を残したこと、一時代を築いたが活躍した時期と今日とでは時代環境が大きく変わっていること、などです。NPOとして、方向性が重なり合う部分が大きいと感じました。

 西山文庫が恵まれていると感じたことが二つあります。一つは西山が残した「一次資料」です。スケッチ・写真・著作の他に、資料を残さなかった田村とは対照的です。もう一つは、積水ハウスによる支援です。生前の西山がプレハブ住宅を批判したにもかかわらず、プレハブ住宅最大手となった積水ハウスは、社会貢献の一環として、近鉄京都線高の原駅近くの研究所の一画を無償提供し、年間2冊の本の出版のための費用として300万円を支給、梅田のスカイビルもイベント会場として提供しています。NPOとしての悩みは、西山研究室のOBの高齢化が進んでいることだそうです。

 私たちのNPOは、「物」もなければ「場所」もありません。私たちは、私たちなりのやり方で、「コンテンツ」をつくりあげていかなければなりません。田村の業績を科学的・客観的に分析し、田村の時代とはすっかり変わってしまったこれからの社会で、田村の残した何をどのように役立てられるのか考えるとともに、情報を世界に発信し、仲間を拡げていくことが大切だと感じました。

 今後は、お互いのホームページにリンクを張るところから始めて、交流を進めて行こう、ということになりました。方向性の重なり合う先輩NPOとしてご指導頂くとともに、交流を通じ活動の質を高めていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 

(文責:関根龍太郎)