本牧の思い出 Recalling Honmoku

1972年12月本牧接収地(横浜市中区)の跡地再開発案がようやくまとまった。米国ハーバード大学大学院でアーバンデザイナーを学び、横浜市に入庁したばかりの岩崎駿介がまとめた。その前に、飛鳥田市長からの指示で結成されたプロジェクトチームが1970年6月から、再開発案を検討しはじめていた。岩崎が市に入ったのが1970年12月で、アルバイト扱いであった。一方、プロジェクトチーム案は1971年3月に完成した。

 

筆者が述べたいのは、このプロジェクトチーム案の目に余る「縦割り」さである。各専門分野の職員が、道路や住宅建設そして福祉政策など、それぞれ勝手に思いの丈を述べている。それらを総合化するという行為は全くない。

 

これが、田村明が横浜市に入り危惧した組織の縦割り主義で、地域と市民を総合化してみない自治体職員たちの姿であった。それに対して、米国で教育を受け、ボストン市役所で働いた岩崎の姿勢は違った。地域を見て、市民の意見を聞き、地域と市民が現在と将来に亘って必要とするものを総合化して提示した。極めて魅力的な再開発案であった。これがアーバンデザインというものである、と見せつけた。英国でアーバンデザインを学んだ筆者にとっても、岩崎の姿勢は当たり前であり、アーバンデザインは「総合化の行為」であると理解してきた。

 

岩崎のように総合化するチカラを、当時どれだけの市職員たちがもっていたのだろうか。自分の狭い専門分野に閉じこもり周囲を見ようとしない職員が如何に多かったことか。ただし、田村明の理念と成果が広がるにつれて、若者たちが相互に連携することに目覚めていった。それが、当時の横浜市の活力だったと理解している。そして、その伝統を是非復活して欲しいと願っている。(田口俊夫)

縦割りのプロジェクトチーム案
縦割りのプロジェクトチーム案
岩崎駿介による本牧接収地の再開発案
岩崎駿介による本牧接収地の再開発案