アーカイブズへの反応

アーカイブズをつくり運営するには根気がいるが、反応がない。歴史的資料を収集し編集し公開し、時に点検することで間違いを防ぐ。運営者は限りなく表にでることはなく、客観的かつ科学的な資料公開に努める。よって、誰が見てくれているのか、どうして見ているのかは全く分からない。それでも、意義があるはずと思い込み続けてきた。

 

そのような日常のなかで、反応があった。横浜市役所で米軍接収地を担当する部署で、昔の事例である新本牧を参考にしたい、との申し入れが知人経由であった。かつて、横浜市には都市計画部門に本牧の接収解除地の再開発事業を担当する新本牧開発室があったが、事業が終了した1989年3月に閉鎖となっていた。当時も今もそうらしいが、役所には資料を保管公開する発想と体制がない。横浜市には公文書館がない。新本牧開発室閉鎖後数年間は膨大な資料がとある倉庫に詰め込まれていたが、その倉庫も立ち退きを迫られ、それら資料が廃棄寸前となった。筆者はすでに市役所を辞めていたが、研究好きなのが知れ渡り、声がかかった。その膨大な資料をもらい受け、自宅に30年以上にわたり保管してきた。いま、それらの主要なものをスキャンして当NPOのwebsiteに掲載している。それが目に留まったようだ。

 

僅かながらも、アーカイブズが役に立った・・・と思えた。どの程度、今の事業をする役所の方々に役に立つのか分からないが、誰かが見てくれていた、とひとり嬉しくなった出来事だった。