9月25日(金)公開研究会報告

開催日:2015年9月25日(金)午後6時~8時45分

場所:横浜市民活動支援センター4階セミナールーム


 参加者は会員8名で少なかったが、極めて興味深い話しが二つ聞くことができた有意義な夕べであった。なお、自治体学会奈良大会でのNPO法人の活動紹介の報告もあったが、別途報告済みなので割愛する。

講演その1.『田村明横浜市退職後の歩み・法政大学の日々』

発表者:遠藤 博(NPO法人田村明記念・まちづくり研究会監事)

 

 田村明さんの横浜市退職後の様子は、市役所職員の人達にはなかなか伝わってこなかった。田村さんにとっては、横浜市役所時代が一番輝いていたのかもしれないが、その前後の人生があって初めて「人間・田村明」を知ることができる、と我々は考えている。

 田村さんは市を退職後に、法政大学法学部政治学科教授となり、大学で社会学系のコマを持っていた。大学では田村ゼミを主宰し、若い学生たちを指導した。ゼミでの研究発表やゼミ旅行などにも行った。

 一方、早稲田大学大学院修士課程の都市計画系の講義ももっていた。残念ながら発表者によると、早稲田大学大学院履修要綱からは田村さんの持論が読み取れないという。当時は既に横浜市に入っていた大学院の先輩たちが、田村さんに頼まれて大学院に代講で出向いていた。なにしろ、現場の話を大学院生たちにして欲しいというリクエストであった。田口もそうであったのかもしれないが、大学院生たちが何も都市計画について知識をもっていないことに驚いた。系統だった都市計画教育がなされていない現実に、海外の大学院に比べ遜色を感じたものである。

 

 さて、発表者によると、法政大学法学部履修要綱の方は毎年細かい変更が見られ、田村さんの熱心さが伝わってくるという。「人類にとって望ましい生活の場とするための新しい政策」の考えを求めるなど熱が感じられる。「20世紀は都市化の時代~」を既に21世紀に変わる時に教授していたということも驚きである。

 因みに、法政大学田村ゼミ卒業生の方々と連絡をとることができ、11月7日土曜日午後に卒業生たちが横浜みなとみらいに集まってくれることになった。教育者・田村明の姿を知ることができる場となる、期待したい。お世話になった先生だったという。

 最後に、なぜ大学の講義に熱くなったのかという疑問への答えとして、内村鑑三の著書『後世への最大遺物』に行き当たったのでないか、と発表者は語る。財産がある人は財産を、思想がある人は思想を、何もない人は「自分の生き様」を後世に残す。それでよい、というものである。

資料

レジュメ
遠藤博監事作成
田村明横浜市退職後の歩み.docx
Microsoft Word 16.7 KB
履修要綱抜粋
法学部履修要綱(抜粋).docx
Microsoft Word 21.9 KB

講演その2.『札幌のまちづくりへの取り組み~田村明と横浜に憧れつつ学びつつ~』

発表者:星 卓志(工学院大学まちづくり学科教授、元札幌市役所勤務)

 

 実に興味深い講演であった。あまり聞く機会がなかった札幌のまちづくりを包括的に語っていただいた。横浜の状況では考えられないことが多数あり、感心することばかりであった。

 星教授は、札幌生まれで幼稚園が神戸、小学校のころは横浜上大岡に住んでいた。その後、北海道大学で建築を学び、大学院時代に小樽で田村さんの講演を聞く機会があった。役所でもこれだけの仕事ができるのかと感激し、都市計画・まちづくり分野で公務員として仕事をするのも面白いかもしれないと思った。札幌市役所で、都市計画、土地規制、都市デザイン分野の仕事を一昨年までしてきた。そして、工学院大学に転職した。

 

 1958年の札幌総合都市計画からすべてが始まるようで、スプロール状態の予測を立てた。市街地の範囲を決めた。1975年の住区整備基本計画で、住区という生活の基礎単位を、役所がほぼ勝手に設定し、それにあわせて道路の計画と公園等を計画していった。丹下門下の太田実・北大教授が住区理論を整理した。行政が引いた線に合わせて開発が行われるので、最後には道路がつながる。その後も札幌市は厳格に行政指導をしてきたという。その住区計画に沿って、ほぼ出来上がっている、というから驚きである。

都心機能配置の枠組み(第4次長期総合計画 2000~2020)
都心機能配置の枠組み(第4次長期総合計画 2000~2020)




 第4次長期総合計画2000~2020で、コンパクトで多中心核の都市構造とすることとなった。また、土地利用計画制度の運用で、一件審査型建築誘導により、個々の都市計画行政で協議調整する仕組みを導入した。

都心まちづくり計画(2002)の骨格構造
都心まちづくり計画(2002)の骨格構造

 


 色々と経験してきたが、今日の本題の都心のまちづくりを語ってもらった。札幌中心部は、20mのグリッド間隔でメリハリがなく、全部平板にできている。そこで、2002年の都心まちづくり計画で、札幌駅前からの地下鉄ルート上に骨格軸を設定し、地下道建設を計画しクロスポイントに拠点性を持たせることとした。

札幌駅前通再整備のプログラム
札幌駅前通再整備のプログラム
駅前通地下歩行空間
駅前通地下歩行空間



 地元組織と共に、札幌駅前通りをよいものにしていこうという話になった。地下道の公共空間と沿道の民間施設との関係性をつくるために、地下道の通路部分から民間施設との間の公共の土地を沿道ビルに整備してもらい、そこを半公共空間として公開するようにした。同時に、地上空間も整備した。

人のための公共空間の拡充(2011~2015)
人のための公共空間の拡充(2011~2015)
北三条広場
北三条広場


 この都心部計画に関連して、北海道庁前の北三条通の広場化計画がある。北海道庁へのメインストリートであった。沿道の日本生命、三菱地所、日本郵政、三井不動産の建替えに合わせて、地区ガイドラインをつくった。都市計画道路を廃止し、広場とした。

大通交流拠点地下広場
大通交流拠点地下広場

 


 また、地下鉄地下通路の歩行者動線が混乱していたのを整理して、地下空間の真ん中に人々が滞留できるデザインされた空間をつくった。



創成川公園
創成川公園


 最後に、創成川が片側4車線で車道に阻まれ水辺空間に近づけない状況であったのを通過交通をアンダーパスでつなげることで地上の緑地空間を生み出した。川辺も親水的に整備した。札幌の歴史をつなぐ、市街地をつなぐ、軸をつなぐ、をキーワードにしている。



資料

講演スライド
当日のスライドの内容を公開用にまとめたものです。
星先生講演スライド(一部).pdf
PDFファイル 1.1 MB

以上文責:田口俊夫