これまでの投稿

研究資料情報

2017年

2月

13日

MM21開発に関する参考資料

 この度、日本建築学会の計画系論文集に小生研究『横浜みなとみらい21開発中央地区における開発方式の時系列的分析』が最終の論文審査に通りました。

ついては、情報開示請求で取得し研究に活用した資料を多くの方々に活用していただくために、本NPO法人のHPで掲載公開することと致しました。

 当該研究論文は、2016年4月3日NPO記念シンポジウムで発表させたいただいた論文『みなとみらい21開発の経緯』が土台です。

 最終的には今年5月の論文集に掲載予定です。なお、当該情報開示資料の公開は、開示許可に際して開示元からご承認を頂戴しておりますことを申し添えておきます。

田口俊夫

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2016年

6月

22日

田口俊夫論文『みなとみらい21開発の経緯』

 当該研究論文は、2016年4月3日に開催された『田村明からのメッセージ』記念シンポジウムの場で発表されたものです。これまで詳細には語られることがなかったみなとみらい21開発に係る歴史的事実を幾ばくか掘り起こしたものです。

横浜のまちづくりには、田村明が中心となり、多くの人々が関りました。かつ長い時間の流れの中でその理念と姿勢を継承した人々がいて、そして今後もいることにより、今のみなとみらい21とこれからの横浜の歴史がつくられていきます。論文作成に際してはおおくの人々、そして研究仲間に支えられました。有難うございました。

(田口俊夫)

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2015年

5月

04日

いまやっている作業・・・・・・

(文:田口俊夫)

 みなとみらい(以下「MM」と言います)について調査研究を進めています。MMのパンフレット類はたくさんある、しかし昔のことは書かれていない。私にとっての「昔のこと」とは、昭和39年に六大事業が発表されてから昭和53年に飛鳥田市長が去り、細郷市長が就任し急にMMが事業化に向けて動き出す昭和53年から58年頃にかけてである。

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2015年

3月

26日

田村明の初仕事としての香川県観光総合計画づくり

左端:田村明 中央:高山英華 右端:浅田孝
左端:田村明 中央:高山英華 右端:浅田孝

 環境開発センターによる初仕事となる『香川観光綜合開発計画マスタープラン報告書』を横浜菊名の田村明さんの書斎で発見した。不思議なことに報告書に年代が記されていないが、1962(昭和37)年当時のものである。浅田孝が主催する「環境開発センター」に入社する田村明はまだ日本生命大阪本社にいた。田村は前年、休暇をとって浅田孝たちの作業を手伝った。高山英華東大教授も加わり、瀬戸内海でタコ釣りを楽しんだ写真らしきものが残っている(田村家資料)。そして、田村明は入社前の1962年8月、環境開発センター名で『地域計画機関のあり方について』を発表している。まだ日本生命在職中だったが、これから転職する都市計画事務所のあり方と決意を述べた。総合的でなければならない、と提言した。田村36歳であった。1962年暮、都市づくりを行うプランナーになるために東京に戻り、1963年1月環境開発センターに正式に転職する。

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2015年

1月

26日

横浜市史資料室『小澤恵一寄贈資料集』について

 小澤恵一(敬称略)は、昭和48年に飛鳥田・田村時代の企画調整局企画課長に就任し、昭和53年以降の細郷道一市長時代に「みなとみらい開発」の具体化におおきな足跡を残しました。残念ながら昨年末に亡くなり、小澤恵一が所蔵していた当時の資料類が一括、横浜市史資料室に寄贈されました。現在、副本づくりのための資料撮影が進められています。原本は請求により適宜公開されています。

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2014年

9月

10日

田村明博士論文『宅地開発と指導要綱』を公開

田村明さんが横浜市を辞める直前に執筆され、1980年10月に東京大学(工学部都市工学科)に提出し博士号を授与された『宅地開発における開発指導要綱の成立過程とその基礎的都市環境整備への効果に関する総合的研究』の論文を全ページを掲載します。

宅地開発指導要綱に止まらず、自治体が開発をコントロールするということ、主体性と総合性をもった自治体機能としての企画調整のあり方など多彩なテーマを扱っています。是非、熟読ください。

なお、当該史料は1981年3月付けで私家版として出版されたものを田村家の承諾を得て複写公開します。

 

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2014年

5月

07日

高速道路地下化に関る新発見資料

田村家より横浜市史資料室に寄贈された田村明関係資料から、横浜都心部における首都高速道路地下化に関するものを発見しました。昭和43年3月22日に開催された市首脳部会議議事録です。まだ田村明は市に入っていません。この首脳部会議を契機に、高速道路の地下化はおおきく動き出すことになります。

また、この議事録に添付されて多くのメモ類があります。以上のものを閲覧した田口がタイプ打ちしました。これらをどう読むかは、まだ多くの議論があります。今後の研究活動で徐々に明らかにしていきます。

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2014年

5月

04日

田村明寄贈資料の整理完了

皆様へ、田口より
ご報告します。今日5月4日夕刻で3日間に亘る横浜市史資料室での田村明寄贈資料の整理が終了しました。 
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2014年

4月

30日

高速道路地下化の決定的資料を発見

市史資料室での副本づくりに向けた整理作業で、昭和43年3月22日首脳部会議議事録とその添付資料を発見しました。田村明が横浜市に入る直前での高速道路ルートと形態に関する緊迫した会議の状況が読み取れます。飛鳥田市長のこだわりと抜きん出たリーダーシップも垣間見られます。また、運河埋立を認める過程で、昭和41年7月当時の横浜市河川利用審議会で高速道路の地下化を求める行き詰る議論もあり、詳細は近いうちにお知らせします。

 

2014年

4月

28日

田村明資料を横浜市史資料室で精査しています

横浜市史資料室に田村家より寄贈された5千点の資料について、研究の用に供するため副本づくりを開始することになりました。原資料のみでは、コピーや写真をとることもできないため研究者にとっては使いにくいことになります。副本をつくることでそれらが可能となります。

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2014年

4月

07日

首都高速道路公団の工事記録誌を入手

首都高速道路公団神奈川建設局『横羽線(2期)及び三ツ沢線工事誌』を横浜市立中央図書館で発見しました。横浜都心部における高速道路地下化の経緯と工事記録を首都高公団の視点で詳述しています。これまでの横浜市内部の動きが第三者的に裏づけされる貴重な資料といえます。

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2014年

4月

05日

首脳部会議資料を発掘

横浜市の情報公開制度により昔の決裁文書(稟議書)を閲覧しコピーを入手しました。目的は、高速道路地下化に関る文書を発掘することで、昭和43年前後を重点的に調べました。

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2014年

4月

03日

横浜市高速道路課課内誌の紹介

横浜都心部で首都高速道路の地下化を担当した横浜市道路局高速道路課内の親睦記念誌を入手しました。発足後の20年誌と30年誌です。当時の担当者たちの興味深い記述があります。ご一読ください。

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