Chronological administrative transition of Yokohama Urban Science Laboratory 横浜市都市科学研究室の組織的変遷
横浜市都市科学研究室は1970年7月23日に、都市問題の専門的かつ科学的調査研究を行うために発足しました。調査研究機関であり、かつ若手職員たちが自主的に学ぶ「番外地」であったといえます。その組織的変遷を初代室長の松本得三(元朝日新聞記者)、岡村駿そして中川久美子(旧姓「泉」)に焦点をあわせ編集しました。
The Yokohama Urban Science Laboratory was established on 23 July 1970 to carry out professional and scientific research on urban issues. It was both a research institute and a 'free enclave' where young staff could study on their own initiative. The organisational transition of the laboratory has been edited with a focus on its first director Tokuzo Matsumoto (former Asahi Shimbun reporter), Shun Okamura and Kumiko Nakagawa (maiden name 'Izumi').
横浜市報 号外第22 昭和45年7月23日発行
達第25号
庁内一般
横浜市都市科学研究室設置規程を次のように定める。
昭和45年7月23日
横浜市長 飛鳥田一雄
横浜市都市科学研究室設置規程
(設置)
第1条 都市問題の専門的、科学的な調査研究等を通じて市政の発展に寄与するため、企画調整室に横浜市都市科学研究室(以下「研究室」という。)を置く。
(取扱事務)
第2条 研究室において取り扱う事務は、次のとおりとする。
(1)都市問題の科学的調査研究に関すること。
(2)都市計画の科学的調査研究に関すること。
(3)自治体問題の科学的調査研究に関すること。
(4)その他前条の目的を達成するために必要な事項
(職員)
第3条 研究室に室長、主任研究員、研究員その他の職員を置く。
2 室長、主任研究員、研究員は、事務吏員または技術吏員をもつて充てる。ただし、必要と認めるときは、専門の学識を有する者のうちから任命することができる。
(職務)
第4条 室長は、企画調整室長の命を受け、研究室の事務を掌理し、所属職員を指揮監督する。
(補足)
第5条 前各条に定めるもののほか必要な事項は、横浜市事務分掌規則(昭和24年1月横浜市規則第9号)の定めるところによる。
(委任)
第6条 この規定の施行について必要な事項は、企画調整室長が定める。
付則
この達は、公布の日から施行する。
調査季報の特集 Topic themes of "Yokohama Quarterly Report”
『調査季報』は都市科学研究室の定期刊行物として1963年11月に第1号が発行され、2023年3月に第188号まで継続しています。当初は年に4回でしたが、最近は出版回数が大幅に減少しています。それでも、ヒラ職員や係長クラスが自由に仕事に関する意見を発表する全国の自治体でも極めてユニークな存在です。
The first issue of the "Research Quarterly" was published in November 1963 as a periodical of the Urban Science Laboratory, and has continued until now as its 188th issue in March 2023. Initially, it was published four times a year, but recently the frequency of publication has decreased significantly. Nevertheless, it is still extremely unique among local governments in Japan, where under-managerial class of junior staff freely write and express their opinions on their work.
Publications of Yokohama Urban Science Laboratory 都市科学研究室の刊行物
1970年発足し1991年に都市科学研究室の組織が廃止されるまでに、発行された刊行物リストです。ただし、その後も調査研究機能は存続し、関連する刊行物は発行され続けます。
This is a list of publications issued from its inception in 1970 to the abolition of the organisation of the Urban Science Laboratory in 1991. However, even after the abolition the research function continued to exist on a different section and relevant publications continued to be issued by the City Administration.
Life History of Kumiko Nakagawa No.2 中川久美子氏ライフヒストリーNo.2
横浜市都市科学研究室に40年間在籍した中川久美子氏は、科学的政策立案のための基礎調査研究の専門家といえます。前回第1回目のヒアリングでは、松本得三時代における都市科学研究室の話が主でしたが、今回はその後都市科学研究室が市役所内でおおきく変わっていく時代、中川氏が市を退職する2013年までを語っていただきました。
Kumiko Nakagawa, who worked at the Yokohama City Urban Science Laboratory for 40 years, is an expert in basic research for scientific policy-making. In the first round of interviews, we mainly talked about the Urban Science Laboratory during Tokuzo Matsumoto's time, but this time we asked her to tell us about the period after that when the Urban Science Laboratory underwent major changes within City Administration, up to 2013, when Ms. Nakagawa retired from the City of Yokohama.
記録・革新自治体「よこはま」における体験と資料
横浜市における飛鳥田一雄革新市政(1963~1978)が終焉を迎えた1978年に、市役所有志と革新市政を支えた研究者たちによって当該記録がまとめられました。よこはまの「革新市政」を総括する冊子は、岡村駿(元都市科学研究室)が実質編集発行責任者でした。岡村駿氏の許諾を得て、ここに主要部分を公開します。当該冊子の所蔵は横浜市中央図書館ですが、著作権は岡村氏たちに帰属します。
まちづくり研究会の記念誌を掲載 Old Machizukuri Study Group's commemorating bulletins now being opened.
まちづくり研究会は、1980年3月に横浜市役所の若手職員たちによって始められた自主研究会です。当初から、左遷された田村明氏を囲む、若手職員が自分たちの言葉で自分たちの仕事を語る自由な場でした。毎月一回、仕事を終えた夕方に集まり、研究会の後は飲み会となりました。田村明率いる企画調整局が実態上解体した後、若手職員たちは自分たち自身がモノを考え共に行動することで、「企画調整機能」を体現していく姿勢を示しました。反体制的であったかもしれません。約20年間続いていく「まち研」の精神はまだどこかに残っているかもしれません。今回掲載するのは、まち研設立10周年記念誌と15周年記念誌です。
岡村駿氏が語る「都市科学研究室」 Legendary Urban Science Laboratory talked by Takashi Okamura
岡村駿氏(元横浜市都市科学研究室)によるヒアリング記録です。1970年7月に飛鳥田市長の要請で、都市科学研究室を松本得三(元朝日新聞論説委員)と共に企画調整室内に立ち上げました。「科学的行政」を志向する都市科学研究室と自身の人生の軌跡について語っていただきました。
The Urban Science Laboratory belonged to Yokohama’s Planning and Coordination Department was a legendary place of assemblage for the bold and ambitious young city workers in the 1970s. Takashi Okamura talked about the story when he established the organization with Tokuzo Matsumoto and enjoyed the company with young people.
岡村 駿(おかむらたかし)略歴
1944年11月29日生まれ(東京神田)
1963年3月 東京都立玉川高等学校卒業
1964年4月 中央大学法学部政治学科入学
1969年3月 中央大学法学部政治学科卒業(法学士)
1970年 4月 横浜市市民局市民相談室
1970年10月 企画調整室都市科学研究室
1977年5月 総務局行政部文書課
1980年7月 総務局横浜開港資料館開設準備担当主査
1981年6月 横浜開港資料館企画室長
1982年6月 民生局総務部企画課高齢化社会担当主査
1984年6月 企画財政局市政100周年記念事業準備担当主査
1986年6月 都市計画局港北ニュータウン建設部事業管理課担当係長
1988年10月 神奈川県企画部計画室(出向)
1989年5月 横浜市都市計画局課長補佐(神奈川県企画部企画総務室副主幹を併任、SURF90担当)
1992年3月 横浜市役所退職
1992年4月 神奈川県庁勤務・県民部文化室主幹(文化施設21世紀構想担当)
1993年4月 県民部文化室室長代理(文化施設21世紀構想担当)
1994年9月 「文部省教員組織審査」神奈川大学法学部自治行政学科(行政文化特論担当)兼任講師の判定
1997年4月 県民部団体指導担当課長(財団法人神奈川フィルハーモニー管弦楽団専務理事派遣)
1998年9月 鎌倉市役所へ出向・同市企画部次長
2002年10月 中国西方旅行
2003年12月 鎌倉市退職
2004年1月 財団法人横浜市政調査会専務理事、理事長田村明さんと同財団の再編に着手、「自治体学」講座の「まちづくり」シンポジウムを開催
2005年2月 鎌倉から世田谷の自宅に戻る
2006年6月 市政調査会で田村明の実践「まちづくり塾」レジメ集をまとめ、8月の自治体学会第20回全国集会基調講演で「市民の政府」論を紹介
2007年3月 2月にシンポジウム「横浜の自治と未来を考える」-「市民の政府」のまちづくりを発行し、「自治体首長」論を加えて冊子として残す。翌3月には、正式に財団法人横浜市政調査会を解散し閉じる。4月~7月斉藤勁(さいとうつよし)の参院復帰選挙を手伝うも落選。8月横浜地域創造プランニングを開所し開港150周年に向けた年表等を作成する。
2008年7月 中田市政2期目の検証を始め、「市民フォーラム」の開催等を目指して市政改革に着手。横浜地方自治研究センターと協力し、ブックレット「横浜市政に勇気ある転換を」を発刊。
2009年9月 旧満州旅行
2009年12月 横浜地域創造プランニングを閉じる
2010年1月 神奈川大学非常勤講師並びに衆議院議員斉藤勁の「勁草塾」を手伝いに週数日、横浜に出向く。
2010年ネパール・チベット旅行
2011年台湾旅行、2011年中国雲南省旅行
2012年シルクロード旅行
2013年中央アジア旅行
2014年インド旅行
2015年ラオス旅行
横浜市民生活白書 White Papers of Yokohama Citizens' Lives
市民生活白書昭和39年(1964)
市民生活白書昭和41年(1966)
市民生活白書昭和46年(1971)
市民生活白書昭和50年(1975)
市民生活白書1979(細郷市政)
細郷市政以降の『市民生活白書』は表紙と目次のみの掲載となります。