IPHS Yokohama2018 theses addressed by our members of NPO Tamura and their impressions of the conference 国際都市計画史学会・横浜大会2018で発表された当NPO会員による研究論文と感想

"英語を使わなかった田村明 Akira Tamura who did not use English" by Chihiro Tamura 田村千尋

2018年7月16日、国際都市歴史学会(IPHS)が開かれ「田村明のプロフィル」という演題で発表した。その概要は田村明の生涯を彼の幼少から亡くなるまでをプロフィル写真で繋ぎ、各時代における本人の行動や考えを話し、画面には家族や周辺の思い出を文字にして綴った。彼の主要な成果物として横浜での6大事業を図面で解説的に、またこの事業は彼が市の職を去った後も着実に続き、現在見る横浜を実現したことの背景を述べた。その後、法政大学教授、「まちづくり」塾運営、「市民政府論」に至る思索の変遷、また諸外国訪問や多数の書物を著したことを紹介した。私は英語での発表が40年ぶりであり、分野もメンバーも異なるので可成り緊張したが何人もの方々の助けを借りてやっとその責を果たすことが出来た。たまたま、88才の誕生日から5日目、達成感は大きかった。2016年、奥津憲聖さんから、この学会の開催を知り、田村明を欧米の都市歴史関係の研究者、広く識者に田村明を紹介出来る絶好の機会ととらえた。一方、2015年、ホームページを立ち上げたが、そこに田村明につき人物、仕事の成果につき尋ねて来た二人の仲間、淺川賢司さん、青木淳弘さんは思考探索する方向も似ていたので共に学会で発表することを提案、了承され。こうして全体に厚みのあるセッションになったと感じた。思えば生前、田村明は自らの思いや成果を英語で発表したことがなかった。1930年頃以前に生を受けたもの達は総じて国の後進性を憂い、欧米の事情を知ることに熱心だった。戦後、崩壊した日本社会ではその状況は続き、やっと彼が活躍した横浜時代は日本がそれまでの社会構造から脱皮する時だった。さらに、自らの時間が出来たときは周辺を固めることで精一杯、英語での発信は皆無に終わったわけである。今、時代は大きく変わりつつある、我らNPOは今後の目標として世界に「此処に田村明あり」という発信をし続けたい。

 

International Planning History Society(IPHS) was held at Yokohama Port Opening Memorial Hall in 16th July 2018.  I presented the speech title of "PROFILE OF AKIRA TAMURA----Yokohama City Planner".  The outline of Akira Tamura's memorial days were described with over ten pictures of his profile.  His accomplishment of “Six Spine projects for City Yokohama”was shown in pictures.  Back ground of its circumstances and his situations were talked around.  The important fact of this project was continued and completed even after the Mayor changed and Akira Tamura retired from the office of the city Yokohama.  He worked at University of Hosei after Yokohama, and he established two private tutoring schools.   He gradually broadened his philosophy by writing books, and enjoyed travelling to many countries.  I just turned 88 years old at that time and made the speech in English which made me a little nervous as I was passed over 40 years using a little English under the circumstances.  We had a very good chance to hear the announcement of this conference by Mr. N. Okutsu in 2016.  Moreover, through our NPO home page we had get to know Mr. K. Asakawa and Mr. A. Aoki who wanted to know about Akira Tamura's past works.  Their view point of Akira was close to us and we could get together to present four independent reports.  In our session, I felt the reports became more widened.  Thinking about Akira Tamura, he did not publish any document in English, that almost no people of foreigners knew about his activities.  We would like to have an opportunity to share his idea and activity more detail and to let our NPO spread his idea to the world.      

英語でないと世界に伝わらない Without English any news is no meaning by Toshio Taguchi 田口俊夫

English is only a means to communicate with outside Japan. We have acknowledged this open knowledge again through attending this international conference by IPHS organization. If being contained within Japan, we do not perceive any necessity either to write theses in English or to speak in English at the meetings. However, any precious documents or speeches cannot become useful or never be understood by people who do not use Japanese. This occasion at the conference of IPHS made us become aware of those needs to go outside Japan and to start communication with people outside Japan.

 

The conference started on the morning, 15th of July by keynote speeches by Professor Akimoto and Professor Suzuki delivered for all the participants from the world. In the previous afternoon a citizen’s forum regarding IPHS and Yokohama’s history of town planning was organized by the Urban Design section of the city government. From a quarter of eleven a.m. our presentation regarding Akira Tamura and his work started in front of twenty attendees. Within 105 minutes our presentation successfully ended and we received four meaningful and constructive questions from the floor.

 

There was an Chinese scholar belonged to the University of British Columbia, Canada, who after the conference proposed Taguchi to write a joint thesis for another conference held in the U.S.A. next year. This opportunity has given us a great chance to meet global scholars and a wide perspective how world planning community is moving. Among several interactions at the conference, one of big surprises is that Professor Shunichi Watanabe, board member of IPHS, expressed his concern about the career development of Akira Tamura as one of the top urban planners and his intention to write a thesis regarding necessities to become a master urban planner like Tamura.

 

The success of this conference mainly attributed to all the commitment done by the concerned organizing committee members of Japanese professors all over Japan. Lastly I would like to express my thankfulness to those people and my colleague researchers.

 

英語でないと世界に発信できない、ことを強く感じた初の国際会議での論文発表であった。海外から日本のことを知ろうとしても、日本語での文献資料がいくらあっても全く意味がなく、英語で書かれたものがないと不可能である。そのストレスを、今回の国際会議に引き続いて開始しつつある韓国研究者との田村明共同研究に際して感じている。韓国で翻訳出版されている田村明の著書とその出版社や翻訳者に、ハングルができないとアクセスできないのである。当然のこととして、韓国の公用語はハングルである。

 

2018年7月15日(日)の横浜市主催のIPHS横浜大会前夜祭に出席することから、今回の会議は始まった。都市デザイン室が窓口となり、横浜市大の鈴木伸治教授などの日本の研究者とIPHS関係者が日本語で市民向けに語りかける場であった。事前に都市デザイン室の担当者に接触し、当NPOが急遽製作した『NPO紹介パンフレット』を配布資料に入れてもらえた。田村明と横浜の都市づくりに関して日英両語で書かれたパンフレットはないので、是非配布しますし、会議後にも都市デザイン室として配布していきます、という力強い言葉を担当者から頂戴した。

 

そして、7月16日(月)早朝からIPHS横浜大会が開始された。連日の酷暑はまったく収まる気配はない。公共施設であるからか、9時ならないと会場が開かれない。まずは、自分のネームタッグをピックアップして、大会資料をもらい、ランチ券もゲットする。そして、重要なことは、当NPOパンフを配布用に並べることである。会員の川崎洋子さんがお手伝いしてくれたのが助かった。彼女は、我々の分科会でプロジェクターの操作もやってくれた。

この横浜大会は、IPHSの会員である国内大学の先生たちとその学生たちが手伝ってくれたようだ。感謝するばかりである。

初日の9時30分から11時まではKeynote Speech基調講演で当会と関係の深い横浜市立大学の鈴木伸治先生と九州大学名誉教授の秋本福雄先生が話された。そして、11時15分からはついに我々にPanel分科会である。”The Genesis of Yokohama’s Strategic Planning Environment: Reflecting on the Contribution of Akira Tamura and His Work”と題する田村明を世界に発信する場である。午後1時までの105分間の勝負である。IPHS関係者の好意により、論文発表の1番目に据えて頂いた。ただし、他の会場でも同様に発表が始まったため、それまで開港記念会館大ホールを埋めていた参加者は引いていった。20数名が残ってくれた。発表者の田村千尋、田口俊夫、淺川賢司、青木淳弘の4名はそれまで何度も意見交換し、英語での発表練習もしてきた。実は4名共に、国際会議での発表は初体験であった、ただし千尋さんは世界の化学研究の場で英語で論文を書き発表してきたのだが、このような人文社会系での発表はまったくの始めてであった。因みに、淺川さんは所属する国際研究機関で英語は使っているのだが、ソフトローという分野に挑戦したので緊張ぎみであった。青木さんは大学院博士課程のため、研究は専門だが、英語での発表は初めてであった。司会役と発表を分担した田口は、4人での合意で全体紹介のなかでやるべきとのことで、田村明の位置づけを包括的に語ったが、司会が話しすぎというお叱りを参加者から頂戴した。

それぞれのパワーポイントも短めにして、分かりやすくした。今回の英語論文は法律家であるTimothy Grayティモシグレー氏による校正を経ているので、大変に格調高いのだが、発表は修正しようもないので、それぞれの「実力」で対応した。でも、やってみると出来ているような錯覚がでてきた。嬉しいことに、壇上からみていても、会場の限定的聴衆は興味をもって聴いている様子がわかった。質問も4名ほどの参加者から、当然英語できて、どうにか的確に対応できたと確信した。実は大会後に、この質問者の在カナダの中国人研究者と田口は中日比較研究を開始することになる。また、質問者の米国人夫妻と共通の知人を通じて交流が始まる。

ここで大きな誤算に気づいた、我々(つまり他の参加者も全員)の発表論文集が事前に配られていないことである。同様に、Abstract概要版もない。当然、参加者はそれらを見て、それぞれの分科会に参加する、と考えていた。そして、会議終了後一ヶ月以上経つが、いまだ発行されない。それゆえ、我々の論文は、当NPOのHPに掲載してしまった。編集を担当する日本側の先生方のご苦労を考えると、時間がかかるのも致し方ないと、妙に納得はするのだが。

発表後に、遅めの昼食となる。分科会を見に来てくれた会員の遠藤包嗣さんと遠藤博さん、そして前述の中国人研究者と伴に、発表者やお手伝いの川崎さんも含め関内の中華料理店に向った。

午後は、田口は鈴木伸治先生や中島直人先生の分科会に参加した。鈴木先生はアーバンデザイナー槇文彦に焦点をあてた海外からの研究者との分科会であった。中島先生は日本植民地でのまちづくりであった。そして、夕方から懇親会である。横浜クリエイティブシティセンターは参加者で埋まり、食事はあっという間に消えてなくなった。世界からの参加者は元気である、そして会話が絶えない。来賓の横浜市副市長の話もまったく聞こえない。それでも、副市長は頑張って話し続けた。おなかがすいた千尋さんたちは鈴木先生の分科会参加者の宴席に入り込み、会話を楽しんだ。田口の知人である建築家/都市デザイナーの長島孝一夫妻もおられ、シンガポールや香港そして米国からの研究者とも共同研究の可能性で話が弾んだ。

 

7月17日(火)は、午前中に大ホールで冷房にあたりながら一休みするつもりが、たまたま興味深い話が耳に飛び込んできた。昨日田口の発表に質問してきた在カナダの中国人研究者だった。中国における住宅開発でインフラ整備を中央政府か地方政府または開発事業者がどのように負担すべきか、というテーマで、いくら土地が国有または公有であっても課題は同じと感じた。

分科会の昼休みに”Book Talk”著作物の発表会が開催され、淺川さんと田口が参加した。予定の数より申込者が増え、二つに分かれて開催された。丹下健三を書いた米国の中国系研究者が次には「みなとみらい21」を書きたいと言っていた。田口は、日本建築学会の審査を通過した「みなとみらい21中央地区の開発過程分析」の英訳版を配りながら説明した。しかし、わずか5分間である。世界中の研究者は実に多様なテーマを研究していて、それらを印刷物にしていることに感心した。

午後は相当に疲れたので、大ホールの冷房にあたりながらやっと一休みをした。そして、夕方からはEvening Tourマチ歩きへの参加である。田口は「みなとみらい21コース」に参加した。案内役は、旧知の元三菱地所社員であった。20人以上を引き連れ、通訳を介し説明するため、どうしても簡略化せざるをえない。1時間半のマチ歩きは消化不良かもしれないが、致し方ないだろう。そのなかで、オーストラリアからの研究者が「あのランドマークタワーのデザインは醜いね…」と耳打ちしたのが記憶に残った。

 

7月18日(水)は、朝一番から渡辺俊一先生による「日本の1919年都市計画法の世界における位置づけ」発表が興味深かった。つまり、当時の世界も情報伝達面でつながっており、日本の都市計画法の制定が英国についで早かった点がある。昼食後に、海外における都市デザイン活動についての研究発表を聞き、夕方から記念講演そして授賞式となった。渡辺俊一先生が長年に亘るIPHSへの貢献を表彰され、世界各地での大会参加で奥様と一緒にこれまで歩んでこられたことが紹介されてきた。そして、7時30分よりニューグランドホテルでさよならパーティーが開かれた。当NPOからは千尋さん、青木さんと彼女、そして田口が参加した。多くの参加者に挨拶したいと思ったが、和太鼓演奏の音に圧倒され、会話が成立しなかった。なお、今回の発表会場に持ち込んだ当NPOの紹介パンフレット400部は、50部ぐらいを残すだけとなったので、お手伝いの日本の先生方にお願いして大学等でお使いいただくことになった。これも、ありがたいことであった。

参加雑感 AN impression at the conference by Kenji Asakawa 浅川賢司

プログラムの内容を読んでその一部は発表を聞いた限りではあるが、大会全体を通じ、現実のニーズはさておき純粋な学問的興味で研究しているもの、現代の問題を解決するために歴史を振り返っているものの2つに分けられると思う。我々のセッションは最終的には後者に目的をもつものの、前者の要素についてもそれだけで十分に興味の対象としている点が異色ではなかったかと思う。
田村明の認知度、理解度は予想通り低いものであったが、その存在感を示すことができたことは、今後の展開の重要な足掛かりになったのだと思う。


As far as I recognized from programme agenda and a part of presentation I heard at the conference, research papers submitted to IPHS can be roughly divided into two categories, such as addressing research questions purely based on a spirit of academic inquiry, and investigating planning history in order to address current urban issues with knowledge of the history.
I think that our session on Akira Tamura was distinguished because it had both of features by aiming to address the current issue but also had lots of academic inquiry on Akira Tamura.
As assumed in advance, recognition and understanding of Akira Tamura by IPHS audience was insufficient, but our session was a major turning point for disseminating achievement of Akira Tamura.to the world.

IPHS参加の印象 MY impression of IPHS by Atsuhiro Aoki 青木淳弘

光陰矢の如し、はじまったと思ったら、あっという間に終わっていて、気づいたらいまここにいたという感じである。しかし、我々は、いま、ここにいる、ということを自覚する良い機会でもあった。1時間45分という限られた時間の中で田村明とはどういう人物なのか、どんなことをしてきて、それがいま、そして未来に向けてどのような意味があるのかということを十分に伝えられたのかと問われれば、絶対の自信はない。確実に言えることは、世界に向けて、田村明という人物に興味を持ってもらうための布石を打てたということだ。しかしその先に足を進めることは必ずしも簡単ではないこともまた痛感した。単に過去を振り返るのでもなく、徒らに未来を語るのでもなく、いま、ここで、田村明という人物と、その周囲の人々やその営為の面白さを再発見しながら、それを伝えることがいかに難しいかを感じている。

今回はIPHSに向けてNPOのパンフレットを作成するべく、グラフィックデザイナーの町口忠さんと協働する機会にも恵まれた。3ヶ月に満たない準備期間ではあったが、私の田村明に対する想いやNPOのあり方を託した文章を、町口さんは衒わず、しかし確かな主張を湛えたデザインをもって、パンフレットへと結実してくださった。かつて田村明と働いた人間と一度も田村明に出会ったことない人間が、いま、ここで、田村明という人物を通して結びついた思いである。町口さんとマッチアンドカンパニーの皆様に感謝申し上げたい。このパンフレットは世界中の都市のあり方を考えることに関心のある人たちの手に渡っている。そしてまた厳しい条件にも関わらず、意見やアドバイスを与えてくださって、私の背中を押していただいたNPOの皆様にも心より感謝申し上げたい。

講演を聴きにきてくださった遠藤包嗣さんと遠藤博さん、プレゼンテーションを手伝ってくださった川﨑洋子さん、ともに登壇した田村千尋さん、田口俊夫さん、淺川賢司さん、また支えてくださった全ての方の言葉や想いが、いま、ここに交錯している。皆様に心より感謝申し上げ、また新しい一歩を踏み出していきたい。

 

Time flies like an allow. I felt it was really short time from start to finish all what I had to do for IPHS session. Meanwhile, I think it was a good opportunity to realize where we are. Within 105 minutes, it was too short to tell who Akira Tamura is, what he has done and how it means to now and then. But at least, though it’s a steep gradient, I think we could take the first step to make wider people to be interested in Akira Tamura and his works. Neither looking back over the past, not aimlessly talking about the future, now, here I re-discover how Akira Tamura’s works and legacies are meaningful for today and found it difficult to clarify to explain it.

For this time, I’m lucky to have an opportunity to collaborate with the graphic designer Mr. Tadashi Machiguchi for the pamphlet which introduce our NPO around the world through IPHS conference. It was within 3 months to prepare, but he realizes my manuscript which contains my point of view toward Tamura and NPO activities to combine his modesty yet appealing design. It is surely that person who has worked with Tamura in the past bonds person who has never meet Tamura. I would like to give many thanks to Mr. Machiguchi and his company. The pamphlets are in hands of all those who concern urban planning. I also give my great thanks to NPO members who give opinion and advise and support me.

Mr. Kanetsugu Endo and Mr. Hiroshi Endo observed our presentation and gave comments. Ms. Hiroko Kawasaki supported our presentation on the stage. Mr. Chihiro Tamura, Mr. Toshio Taguchi, Mr. Kenji Asakawa made the panel together. We exchange our point of view and discuss each other over our presentation. And all the people who support us. I say thank you all from the bottom of my heart.

IPHS への感謝 Thanks to IPHS by Hiroshi Endo 遠藤博

7月中旬というのに盛夏の横浜でIPHS横浜大会は開催され、学会の総会に紛れ込ませていただきました。

余りの暑さのため初日だけプログラムに参加したのに留まりましたが、さまざまなオプショナルツアーなども用意されもう少し事前に計画立てて参加すればと悔やまれます。

15日に開催された応援企画の「歴史を生かしたまちづくりー」のセミカローラ・ハインさんの「歴史を生かした港湾都市」の講演を含め通訳なしの英語世界にどっぷりつかってみると、今さらながら我が身の英語力の無さを残念に感じられました。

NPOから参加された4人の方々は十分その役割を果たせたのではと思いましたが、田村明を始めて耳にする人たちには、紹介パンフと田口さんの「宅開要綱変遷」と浅川さんの「途上国への応用、ソフトローの提案」などに絞って議論できればよかったかもしれないと思いました。

今後、田村明の情報を発信するのがNPOの役割の一つと考えるのであればNPOの関わるひとりひとりがレヴェルアップが求められるのだとここ数カ月のIGESやIPHSと交流したことから感じることができました。

International Planning History Society Yokohama 2018, the 18th IPHS conference, Programme
IPHS Yokohama2018 programme.pdf
PDFファイル 1.5 MB
The Genesis of Yokohama's Strategic Planning Environment: Reflecting on the contribution of Akira Tamura and his work
This panel is consisted of four theses as follows.
A panel entitled Akira Tamura.pdf
PDFファイル 50.9 KB
Profile of Akira Tamura - Yokohama City Planner
Final version by Chihiro Tamura.pdf
PDFファイル 290.4 KB
The Adoption and Abolition of the Local Development Exaction system by the city of Yokohama
Final version by Toshio Taguchi.pdf
PDFファイル 346.8 KB
The status and use of soft law in local governments' management of urban development : Restructuring the logical framework of administrative guidance on impact fees for housing development
Final version by Kenji Asakawa.pdf
PDFファイル 139.4 KB
A study of unorthodox town making by Akira Tamura: the transmission of Tamura's vision to younger generations
Final version by Atsuhiro Aoki.pdf
PDFファイル 184.2 KB